マリア・モンテッソーリ(1870年8月31日‐1952年5月6日)

マリア・モンテッソーリはイタリア マルケ州 アンコーナ県 キアラヴァッレで生まれました。
モンテッソーリの家庭はとてもしつけが厳しかったのですが、深い思いやりと温かい理解がありました。その温かさがモンテッソーリにも引き継がれ、貧しい人のために編み物をしていました。


モンテッソーリが12歳になると、ローマに引っ越ししました。モンテッソーリは数学、生物にも興味を持ち、最終的に医学に興味を持ちました。その結果、医学の道に進むことになったのですが、当時のイタリアは女性が医学の道に進むことは許されず、父親は大反対でした。大学に入学すると、男子学生たちからからかわれたり、女性ということで男子学生と一緒に解剖をすることが許されず、夜一人で解剖しなければならなかったのです。しかし、モンテッソーリはそういったことにもめげずにイタリア初女性医学博士号を取得しました。(この様子はイタリア映画『Maria Montessiri-Una Vita per i bambini』という映画でも詳細に記録されています)

その後、ローマ大学の精神科クリニックで医師の助手になりました。そこで目にしたのは子どもが何もない部屋で床に落ちていたパンくずで遊んでいたのです。それを見てモンテッソーリはイタールとセガンの教具をヒントに様々な教具を作りました。

そして、1907年ローマのスラム街であるサンロレンツォに『子どもの家』を作ったのです。この子どもの家は両親が仕事に行っている間に子どもを預かるというもでした。子どもたちの様子は怯えていて、動きも乱雑で泣いたりしていました。まずはモンテッソーリは家具を子どもサイズに切り落とし、子どもたちをよく観察したことで様々なことが明らかになりました。

モンテッソーリの発見

*子どもは集中するということ

自己選択→繰り返し行う→集中→達成感や満足感

*やり方を見せてあげる

大人が動きの分析をして、子どもにやり方を見せてあげることです。
「提示」「提供」と呼ばれています。
全神経を集中して大人が提供をします。

*子どもの正常化

活動を通して逸脱から正常化します。
この活動はもちろん自己選択による活動です。

*子どもの学びに限界はない
*敏感期の発見―モンテッソーリは、子どものある一定の期間のみ磁石に惹きつけられるような時期があることを発見しました。生物学者オランダのド・フリーズがそのような時期のことを【敏感期と名付け、モンテッソーリは人間も同じような時期があることを発見しました。
  • 離乳の敏感期 5ヵ月
  • 運動の敏感期 粗大運動・微細運動 6ヶ月~4歳半
  • 秩序の敏感期 1歳半~2歳半
  • 小さいものへの敏感期 2歳半くらい
  • 感覚の敏感期 触覚・聴覚・嗅覚・味覚・視覚 0歳~3歳半
  • 言語の敏感期 書く(3歳半~4歳半)・読む(4歳半~5歳半) 胎生7カ月~5歳半くらい
  • 数の敏感期 4歳~6歳
  • 礼儀に対する敏感期 3歳半~6歳

注)年齢は目安です。

これらの敏感期にあわせて、モンテッソーリ教具、教材があります。

0歳~12歳のカリキュラム

注)お子様にあわせて提供していきます。

 

0歳~3歳 3歳~6歳 6歳~12歳
運動の調整

日常生活の練習

言語(前言語期・言語期)

美術と音楽

 

運動の調整

日常生活の練習

感覚教育

言語教育

算数教育

文化教育

気品と礼儀

 

国語

代数

幾何学

地理学

生物学  → 植物学

→ 動物学

歴史

体育

音楽

 

 

モンテッソーリ教育の目指すもの

人格形成

0~6歳 自律・自立
肉体的な自立、他者と関わりを持てるようにする
「ひとりでできるように手伝ってください」

6歳~12歳 精神的・道徳面での自立
「ひとりで考えられるように手伝ってください」

平和教育

人間は動植物と相互依存していることを理解し、自分の宇宙的使命を考えられるようにする。

「教育とは生命の援助である」
教えることが目的ではなく、自然の発達を援助するものでなくてはならないのです。

マリア・モンテッソーリ

*敏感期や発達の4段階の詳細、なぜモンテッソーリが平和教育を目指していたのか、歴史的な観点からも
勉強会で詳しくお話しています。