電車に乗っていたときのことです。
隣に高校生が乗ってきました。

「ぼくは、いい大学に入って、いい会社に入る。それが今の夢なんだ」と、お友達に語っていました。

まだまだ世の中がこのようないわゆる【学歴社会】なのかと思うと、少し残念な気持ちになります。もちろん、「いい大学に入る、いい会社に入る」ということは、1つの夢であり、素敵なことだと思います。

ただ、今まで私が見てきたなかで、いい大学に入るために猛勉強をして入学する。でも、入学した途端、勉強する意欲が失せてしまう学生さんが多いのも事実です。

目的意識がなくなると、次にどうしていいのか分からなくなってしまうのかもしれませんね。そして、たとえば両親のために勉強したということであれば、意欲が失せてしまうのは当然でしょう。

何のために勉強をするのか、

次はどうしたいのか、

と考えるのは自分自身です。

会社という社会は、マニュアルもなく、自分の判断で考えて動き、なおかつ、他者とのコミュニケーション能力が問われます。上司との関係、部下との関係、顧客との関係などです。(中には黙々とひたすら一人で仕事をするものもありますが。)

社会で求められるのは、ただ単に、数学ができる、○○ができるだけではないと思います。
いかに自立心があり、自己を律することができ、頭のなかが整理付けされ(論理的思考)、考える力があるか・・・ではないでしょうか。そして、どの人に対しても謙虚であり、何がいけないのか、何が良いのか分別ある人。

きっと、あまりにもシンプル過ぎませんか?と思うかもしれませんが、シンプルこそが難しく、上記が人間形成でもっとも大切である幼少期、児童期に創られるのです。

私は小学校に勤務しておりましたが、教室内をフラフラする、奇声を発するという子どももいました。自立という面では、5年生の子が一人で靴下を履けないという面にも出くわしました。ママがいつも履かせてくれているそうです。お勉強はとてもよくできる子でした。私は、「靴下を履く」という提供をしました。

授業では、まずは「人のお話を聞くときにはどう聞くか」から始まりました。

まさに自由と規律です。
音楽を思う存分楽しむことの前に、きちんとしたルールがあることを伝えました。

4月、5月は大変でした。でも、今、ここでしておかないと子どもたちが心配、そして音楽の楽しさを味わうことなく1年が終わってしまうのです。ですから、本当に忍耐でした。

6,7月になると授業を聞くという習慣が付き、歌声も大きく変わってきました。授業では笑いあり、まじめにするときはする、音を思う存分楽しむ。メリハリをつけていました。

子どもたちの授業に対する姿勢が変化した後、私は担任の先生に内緒で音楽会を企画。合唱のプレゼントを企画しました。
子どもたちに相談すると、やろう!とのこと。

それぞれクラスごとに歌いたい合唱を選んでもらいました。練習にも熱が入り、休み時間に練習に来る子どももいました。
音楽会当日、担任の先生は何も知らずに音楽室へ。そして、指揮者と伴奏も子どもたち。私も後ろで聴いていました。
子どもたちの生き生きとした表情、歌声。

絶対に子どもの前では泣かなかった私も、感極まって泣いてしまいました。担任の先生も泣いて喜んでくださいました。
子どもたちの無限の可能性は素晴らしい。

そして、同時に思うことはやはり基本的な礼儀は、幼少期から大人が伝えていくべきだと感じました。

何がいけないのか、何がいいのか。

児童期には児童期の発達があり、すべきことが子どもの内にあります。
幼少期には幼少期にすべきことが子どもの内にあります。

子どもの内にあるものに逆らわず、大人の抑制ではなく、子どもをよく観察して【今】何が大切なのかをお子様から学んでいただきたいと思います。

きっと、お子様は「ママ、今ね、これが楽しいの!これで自分を成長させているの!」と、全身で教えてくれるはずです。

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